再生杜の都
暑い夏が始まりました。太陽の日差しはこれでもか、と私たちの覚悟を試すように照りつけます。まちを歩くと日傘をさす人、遮光サンバイザーを利用して自転車を運転する人が目立ちます。印象的なのは街路樹がつくる木陰が街ゆく人の「オアシス」になっていることです。
仙台市の関係者と意見交換をしている中で、「杜の都」とは何かという議論があります。今は風景としての杜の都であり市民生活からかけ離れてはいないか、と疑問を投げかけています。
「杜の都」の本は屋敷内にある実のなる木々、生活の糧となるお茶などの生垣、今で言う家庭菜園などが織りなす風景であったのではないか、と私は考えています。風景は結果であり目的ではなかったということです。
翻って、今の緑地行政は風景に偏りすぎです。先ずは緑陰をつくること、年々厳しくなっている夏日差しから市民から守ることを考えてはと考えます。そのためには街路樹に樹種の選定、植え替えも考えていくことが必要です。
また木々は生涯に渡り酸素を出すわけではない、一定の適齢期、があるということです。維持管理の面でも、生物多様性の面でも街路樹の樹種の見直し植え替え、考えて欲しいと思います。
市民生活に身近な「みどり」、杜の都の再生を進めたいと思います。