締めくくり
電話で一日が始まり電話で一日が終わる。これが日常です。今朝は「孤独死」の遺族の方から電話がありました。古くからご支援をいただいている一族類縁の関係の方です。
電話の主はまだお会いしたことのない方でしたが、挙げられた「義兄さん」の名前で直ぐ話はつながりました。
故人の人生の最後である葬儀の段取りは行政の支援で何とか目処が立ったものの、住まいの後始末で困難に立ち往生さてどうしたものかというのがご相談の趣旨でした。
類縁の方は皆ご高齢、病気持ち、収入も乏しく制度上行政の応援は期待できない、手の打ちようがない状態です。
高齢化社会、小家族化が常態化した社会では、このようなケースは珍しいものではありません。国も効果的な施策を打っているわけでもなく、「常識的な、しかし効果の無いアドバイス」を示す状態です。ここは独自に手を打たねばと関係課長と相談しているところです。
90歳を超えるご高齢の独り住まい、人様のお世話になるのは恥、自分のことは自分で始末するという覚悟で生を全うされたのだと思います。私の亡くなった母の時代の方々は皆そうだと思います。その最後を「孤独死」というのは余りにも失礼と思いながらも使わざるを得ない現実があります。
人生の最後を飾る葬儀です、人としての尊厳を守り長く社会に貢献されたことに感謝しながらお送りしたいものです。「社会」を代表する自治体として一歩踏み込んで考えるべき時期です。
そして今日最後の電話は、「超元気な高齢者」にまつわる問題でした。思いを大事にしながらどうやってご理解を頂くか、これが課題。丁寧に丁寧に取り組んで参ります。
今日も電話で一日が始まり、電話で一日が終わります。頂く電話に通底しているのは全て社会全体に関わっているということ。疎かにできません。
今日はお盆の送り火の日、日没後無事お送り出来ました。