原爆投下の日

今日は「原爆記念日」、十数万の無辜の市民が理不尽にも命を奪われました。原爆忌、原爆の日、さまざまな言い方があります。広島平和記念式典がどうも正式な名称のようです。ピンときません。慰霊祭がふさわしいと思います。

人類史上初めて原子爆弾を使った大量の「虐殺」、核兵器の究極の廃絶を願う一人としては、原爆の言葉は書くべからざるものと思います。

ふじさん、ツナミ、カラオケ、もったいない、などなど日本語が世界共通語になっています。「原爆」を世界人類の共通語「ゲンバク」に意識して広めて行きたいものです。

さて、今日は仙台七夕まつり初日、午前中早い時間一番町商店街に出かける機会がありました。準備の様子を見るのは初めて、商店関係者の、準備に勤しむ姿も新鮮ですが、その際交わされる会話、途切れ途切れですが「標準仙台弁」がまたおもしろい、七夕の魅力、番外編です。(⌒-⌒; )

今日から三日間中央通り一番町交差点付近で「救う会」が救出署名の活動を実施します。その際、「早期帰還の願い」を込めた短冊を展示することになっていました。短冊を届けるために七夕まつりの朝一番町に足を踏み入れた道すがらの経験です。

原爆投下77年、拉致事件が表沙汰になって明らかになったのは1977年9月19日の宇出津(うしつ)事件から数えると50年、政府認定は17人とされています。疑いを入れればその数は大きく増えます。

広島に原爆投下された記憶も強く意識しないと風化の恐れがあります。北朝鮮による拉致被害者もその通り、国民運動にして挙げて取り組まねば風化し忘れられてしまう危険があります。あの「東日本大震災」も然りです。

文芸評論家小林秀雄氏は「人間は忘れるから生きていける」という名言を残しています。個人的にはそれで良しとは思うものの一人の大事な人生を他人が奪う理不尽は許してはいけないとも思います。