無縁社会

無縁社会、「家族や共同体から孤立して生きる人が増加している社会を表す」言葉とされます。この十数年使われるようになりました。一人暮らしの方が亡くなった場合、故人の人生の幕引きをする方がいない場合、自治体がその役割果たすことになります。

毎年、仙台市長主催で慰霊祭が行われます。慰霊祭は毎年8月の初め頃が選ばれます。今日がその日でした。葛岡市民墓地にある納骨堂のそばの空地が慰霊祭の斎行の場所になります。数年前までは、担当課長が市長代理で弔辞を奉読し、献花、で終了していました。

人としてこの世に生を受け、人生を精一杯に生き抜いた人を粗末に扱うことはできません。謹んでご生前の御労苦を労わり、ご冥福を祈ることは大事なことだと思います。納骨堂も雑然としてまるでお骨箱の倉庫と化していました。

議会でも取り上げ市長に適切な対応を求めると同時に慰霊祭に市長本人の出席を促してきました。現市長になって納骨堂の視察を行なっていただき、現況の認識をして頂きました。関係職員の働きも大きくあります。

現在では、副市長、健康福祉局長、次長、部長、課長以下関係職員が勢揃いで出席して慰霊祭を斎行できるようになりました。今回は同僚議員も一人参列してくれました。議会に理解者が増える事はとてもありがたいことです。

仙台市長が主催する慰霊祭が三件あります。戦没者慰霊祭、東日本大震災犠牲者慰霊祭そしてこの無縁故者慰霊祭です。二件は市長、議長が仙台市民の代表として出席して冥福を祈ります。無縁故者慰霊祭だけは、何故か「格下」扱いになっていました。時間はかかりましたがここまできました。

本年新たに納骨された故人は150名、いろいろな事情があってのことと推察しています。「無縁社会」がこのまま進むとすれば、納骨者が増える一方になるでしょう。何とかせねばなりません。副市長の弔辞にあった一文が耳に残ります。「同じような境遇の方々をつくらないために………」政治、行政あげて取り組まねばなりません。新たな誓いをした一日でした。