自然の摂理

自然の摂理、これほど確かで厳粛で人知の及ばざるものはない、と実感しています。

季節の巡りなどはそうですね。人の世がコロナだ、侵略だと生死大事に大騒ぎの最中にも、雪は融け、梅は咲き桜のつぼみは膨らみを増しています。

水の動きもそうです。高きから低きに流れること、流れは絶えず変化していること、清流は澄、淀みには必ず腐臭が漂い始めること、節理の一端です。

人と人との関係も自然の摂理に従っています。お互いの幸せを思えば長く続き、利害打算の関係は、遅かれ早かれ破綻する。

政治の世界の身を置き、経験した実感です。

政治の世界に身を置き、四十年経とうとしています。

レッスンoneは、親からの政治家の人物紹介、レッスンtwoは現場経験、衆議院議員選挙。県会議員経験者の初立候補、見事に当選。縁あって事務所にお世話になっての十数年、市議会議員としての三十年余、人の離合集散を目の当たりにし、今もその渦中に身を置いています。この世界にも自然の摂理が働いています、間違いなく。

政治家の存在意義を認識した人そうでもない人、淘汰は起こります。欲に目がくらんだ人も淘汰されました、自滅かな。何れにしても、此れは紛れもない自然の摂理です。

尻からフンを引き釣りながら泳いでいる金魚が美しいかどうか、金魚自身は気づいてい無い寧ろ滑稽なように、人も自分のことは分からない。でも人の目にはしっかりと見えている。

人の目は前についています。当然なこと。目の前だけでは動物と一緒。『金魚の喩』になりかねません。人になろうとするならば、『離見の見』自分の後ろ姿を見る視線も必要、これは大切です。

とても大事なこと。『自然の摂理を意識して生きていますか』予定の無い土曜日、突然の来訪者に気付かされ教えて頂きました。

麟閣 鶴ヶ城公園内にある、千利休の子・少庵が建てたと言われる茶室です。