しびれる
「何にしびれるか、何にしびれるかによってその人は決まる。中江藤樹は論語と王陽明にしびれた。人間は本物にしびれなければならない。」安岡正篤 東洋思想家
月刊「致知」日めくりカレンダー、木曜日に記された言葉です。本物にしびれなければならない、安岡先生は断言されておられます。
「しびれる」の意味は、辞典によると☆1からだの一部または全体の感覚が失われ、自由がきかなくな☆2電気などを感じてびりびりふるえる☆3心を奪われてうっとりとする。強烈な刺激を受けて陶酔する。とあります。
近江聖人と讃えられた中江藤樹は、心を奪われて論語と陽明学に刺激を受け陶酔したのだと思います。浅学非才を顧みず言えば陽明学は私たち日本人にフィットする思想だと思います。私も惹かれます。
今日は「ピオックスオープン大会が開催されました。15年を優に超えるバドミントン大会です。20年ほど前、練習の機会と試合の経験をバドミントン部の中学生に積んでもらうために始められた練習会に淵源があります。
小学校の体育館をお借りし少人数で始まった「大会」も次第に参加者も増え、大人も参加する文字通り大きな大会になりました。今日も会場は若林体育館、八面のコートをフル活用しての大会になりました。
振り返ると、選手本位の運営になりがちな中学校のクラブ活動に問題を感じ改善に着手したI夫人、実績もあり優れた指導者でもあるA先生が最大の功労者です。お二人の優れた実践者に「しびれた」若手が今や大会運営の要になっています。本物は周囲をしびれさす大きな力を持っているのだと思います。
名目だけでも「大会会長」を任されていること誠に名誉に思います、こころから。「人間は本物にしびれなければならない」安岡正篤先生の言葉が心に響きます。私自身何にしびれているのか、「本物」に出逢いながらそうとは知らず、折角のしびれる機会を失っていないか、改めて考える日になりました。
成長著しい児童、生徒に「本物」に触れる機会を多くつくることそして「本物にしびれることによって豊かな人生を営むことができる」人づくりに貢献する、これが私の任務と改めて自任したところです。