無位の真人

無位の真人http://www.rinnou.net/iroha_uta/01_i.html禅語です。「何とも相場のつけようのない、価値判断のつけようのない、一人のまことの人間、真人がおる。仏がある。一人ずつおるのじゃ。皆の体の中に一人一人、無位の真人という」

今日は日頃尊敬し敬愛する「貴人」のご案内をいただいて法律事務所を訪問しました。事務所長は元裁判官、開業間もないホヤホヤの弁護士です。特に課題があって訪問したわけではなく、ご案内頂いた方のお話の端々にこの法律家のお人柄を偲ばせるエピソードが披露され、人物に強く惹かれてご挨拶に上がった次第でした。

長く裁判官をお勤めになったことは微塵も感じさせない方でした。手ずから入れてくださったコーヒーの美味しいこと、格別な味がしました。ご挨拶もそこそこに話題が広がり私の同級生の裁判官の話から青少年の健全育成まで話に花が咲きました。

滞在中電話着信音が立て続けになります。今日は不思議に電話が来ますね、今日に限って限ってどうしたことでしょう、と謙遜されましたが、このお人柄ではさもありなん、そう思いました。お暇乞いをして事務所の玄関を出ると不意の客がお待ちになっておりました。

法曹界は何かと「権威」それから「見事なほどのヒエラルキー世界」そして評価は別として「古い価値観が幅をきかせている世界」と言う認識を持っていましたが、改めます。庶民的な「普通」の感覚の方もいらっしゃる。

禅語にある「無位の真人」と言う言葉噛み締め味わいながら帰路ハンドルを握りました。政治の世界に長く身を置き「慣れはないか」、「おごりはないか」と自省しているつもりですが、まだまだです。

ご紹介いただいた貴人に感謝そして貴重な時間を提供いただいた弁護士に感謝。好い 1日でした。