伝統文化

午後の始め、本を片手に時間を過ごしていると家内から声がかかりました。先ほど鳴った着信音は家内の携帯電話、家内から手渡された電話の送信主は聞き慣れた声、ご近所のO夫人でした。地元旧家の奥様でお花お茶の先生をしておられます。

子供の指導に熱心に取り組まれ、コロナで多くの児童を中心に華道の普及に取り組んでこられました。ご自宅を中心に華道指導を行ってこられました。その活動は文化庁の「親子伝統文化教室」を基本にしておられます。

仙台市内では、文化庁の「親子伝統文化教室」の助成制度を活用して多くの教室が開かれています。これまでの悩みは各小学校にお声掛けしてもなかなか学校が受け入れてくれずせっかく用意したチラシも多くの「チラシの海」の中に沈んでしまっていることでした。

「40名も今回は応募してくれました。発表のための会場探すのに大変です。」「震災復興のために活動の範囲を広げようとしています」喜びに満ちた声が伝わってきます。今まで多くても15名の児童が参加するにとどまっていましたので、三倍増は確かに驚きの人数です。

市内の「親子文化伝統教室」活用団体の有志が集まってグループをつくり「城下町仙台伝統文化教室フェア」と名前をつけて年に一回、学びの成果を市民に披露する場を設けて来ました。日本の伝統文化を伝えることの大事さを思う1人としてお手伝いをしているところです。文化庁の制度運営の趣旨は「児童と保護者」です。これまで小学校に対する働きかけを教育局と相談をして取り組んできました。その成果が出たようです。

「城下町仙台」は藩祖伊達政宗公によって築かれ、天下に仙台藩の名を轟かせました。外様ながら雄藩として江戸幕府に大きな存在感を示してきました。文化芸術においても天下に誇る取り組みと評価を受けた歴史があります。同じ大藩である金沢藩前田家とも政治的にも文化的にも密接な関係がありました。この関係は仙台市が政令市に移行するまで続いてきた歴史的経緯があります。

金沢市には有形無形の文化伝統が残っています。がしかし「仙台には何もない」という嘆きが聞かれますが、決して何もないわけではない、と私は思います。城下町仙台には伝統文化が着実に継承され時代と共に受け継がれてきました。

大事なことは、まず私たちが仙台には有形無形の文化が残っていることに気づき「目から鱗を取り去る」ことです。そして埋もれたままになっているものを掘り出し、磨き上げ次代に繋いでいくことです。「喜びの電話」は私に新たな勇気を与えてくれました。