御用始め雑感

令和三年は丑年、昨年末牛の名前を号とした高山樗牛の足跡を尋ねました。高山樗牛は山形県鶴岡の出身です。青年時代旧制第二高等学校で学び、東京帝国大学へと進みました。明治時代の評論家として活躍した人物です。▲仙台市青葉区の北辺に小高い丘陵地帯があります。ピークを成す一角に、一本の老松が仙台市の都心部を睥睨しています。現在は東北医科薬科大学の学内になっています。、▲樹齢六白年を超すと言われる大木となったこの老松は、瞑想の松と呼ばれ、長く市民に愛されてきました。市内を走る路線バスの行き先にまでなっている名所です▲昨年末、瞑想の松の麓にあるお宅で自主映画会がありました。距離にすると、我が家から車で十数分程度です。歩いても四十分程度ということで、歩いて訪問することにしました。長年瞑想の松を訪れたいという思いも背中を強く押しました。▲原町、小田原、宮町、小松島そして瞑想の松へ。展望台に立つと、聞きしに勝る見事な展望です。昼下がり誰もいない松の下に立ち見上げてみます。往時、青年高山樗牛がこの丘で何を考え瞑想に耽ったのか興味が湧くところです。▲「樗牛」という号は「荘子」に因むといいます。青年時代から終生愛用したと言います。意味するところは、役に立たない牛、と程度の意味でしょうか。生涯を見ると、明治三十年代の日本の言論界を動かした活躍ぶりでした。樗牛の号に人としての謹みと啓蒙家の気概を感じますね。▲高山樗牛の墓碑銘には「吾人は須らく現代を超越せざるべからず」と記されているとのこと。政治行政そして民間の一人ひとりが心したい言葉です。▲コロナ感染症で社会が混乱状態のこの時こそ、目前の危機にはしっかりと対処し、冷静に時代の先を見据えて、抜かりなく手を打つて行きたいものです。▲今年は「新仙台市総合計画」の実施初年度。「吾人は須らく現代を超越せざるべからず」精神で着実に実行し、是非成果に繋げたい、と思います。

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