okinawa二日目

今日は沖縄北部うるま市まで。8時30分貸し切りバスは那覇市内を離れて一路うるま市まで。沖縄本島を背骨のように貫く高速道路を只管北上、窓外は屋上に宇宙船のような給水タンクを設置した民家が連なります、将に沖縄、の風景です。うるま市は二市二町合併してできた新しいまちです。世帯数、人口そして市域も仙台市に十分の一或いは九分の一の都市規模で説明して下さった総務課長さんが親近感を込めて話してくれたおかげもあって、一気にこちらも打ち解けた感じに。

離島を繋ぐ海中道路は大きな役割を果たしているようです。米軍の備蓄タンク、キャンプもあり海中道路の建設は初期の部分はアメリカ資本が大きな役割を果たしたということです。避難道路、場所場所に明記された標高標識、仙台でも急がねばならないと切実に感じました。台風被害の印象が強い沖縄ですが、400年前には津波で一万二千人を超える犠牲者があったとのことです。

身近に記録は残っていないことが対策を打つ際に市民に対するインパクトの弱さを感じました。東北でも災害は忘れた頃のやってくるという教訓を極めて苦い思いで噛みしめたばかりです、400年前はあまりにも遠い記憶かもしれません。しかし沖縄県の想定津波の高さは22メートルとのこと、市域内で一番の標高の山が200メートル、海抜が1メートルそこそこですぐに山、否、丘が迫る地形、高齢化、救助のし難い離島と言うことを考えればうるま市の担当者の苦労が身に沁みるように感じられます。避難道路建設そして標高表示その仕事の速さには敬服します。スピード感はとても大事ですね。

視察を終えて宿で仕事、整理が終わって外を見るとすっかり日は暮れていました。急ぎ牧志市場まで、歩いて十分ばかりの距離です。煌煌と輝る照明で浮き立つ店の連なりを過ぎてたどり着いた魚市場は店じまいの終盤でした。お目当てのカラフル魚は目にすることは出来ましたが、料理してもらうまでには至らず、次の機会の楽しみに。

二階で沖縄そばを楽しんで、部屋に戻りました。沢山のツアー客が食事をしていましたが、皆静かでしたね。中国語らしい発音から察すると、意外に静か、チャイニーズ台湾かもしれません、食事を済ませて帰る皆さん行儀もよかった。親日台湾、価値観が同じ、親近感を感じます。

 

 

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